都内への行き帰りで一気に読んでしまった。途中、次々に突きつけられるこの国の現状に目を覆いたくなったが、どうしても止められなかった。
この国ではひどいことが起こっている。それはずっと起こり続けていたので、いつの間にか慣れてしまっていた。けれど、それはやっぱりおかしい。おかしいことをおかしいと主張したいけれど、システムがそれをあらかじめ無力化するように作られているし、巧妙な世論操作が「たかが一個人」の意見を受け入れる土壌を殺してしまっている。なんなんだ、この息苦しさと荒廃感は。
ヲレみたいな「変わり者」にとって、多様性が尊重され、基本的人権が保障されている社会でなければ生きてはいけない。死活問題なんだ。だから、なんとかしなくちゃ。国外に逃げるという手段も常に留保しておきたいところ。「まだいけるはもう危ない」(Wizardry文化圏における至高の格言)
読んでる最中、iPodが中島みゆきの「4・2・3」を選び出してドキっとした。6年前、ピンと来なかったこの歌が、今ではあまりにもリアルに響く。中島さんには、紅白ではこれを歌って欲しかったなあ。
もドゾー。
国外って、何処へ? アメリカはあのテイタラクだし、思想の自由以前に生命の保護すらあやしい国もたんとあるので、私は多分、あるていどまでなら思想に制約受けても日本にいると思います。<br><br>MLとかなんつーかコミュニティってかんじのものの運営経験でいいますと、多様性を保証すると「馬鹿」とか「嫌なもの」といった負の存在すらも受け入れざるを得ないのですよね。例えば fj.* がなんだかんだと変化せずに存続して、japan.* がああなっちゃったのも、japan.* は寛容を標榜する余り馬鹿に舵を握られちゃったからってのが、fj はフレームを起こしてでも叩きつぶす姿勢があったからで、2ch も fj的な、叩く事で「馬鹿を排除する」システムを持ってるから崩壊せずに住んでると言えます。<br><br>で、排除されない程度の自由度を受け入れてしまった私は、「それが自分を排除する可能性」を否定しちゃいけないし、それで排除されるなら仕方ないとある程度までは覚悟してます。<br><br>もちろん、そういった陶片追放がばかげたレベルにならないかの監視と、自分が陶片追放されないだけのその集団内での「常識」の確保はしますけど、ね(^^;
国の囲い込みに萎縮しないための空元気だったりするわけですが。空元気ではあるけれど、頑張れば実現可能なオプションとして持っていたいのは事実。僕らにとって一番「近い」外国であるアメリカがアレ、ってのは、大変なジレンマですが。<br>僕がこの国を捨てるより、この国が僕(ら)を棄てる方が先のような気はしますけど。