世の中での高い評価が不動のものになってしまうと、「わたし」の意識が不合理な反応を示して、それに接することを後回しにしてしまう。そして、ようやくそれに触れたときに、なぜもっと早く接することをしなかったのかいつも後悔することになる。
そんなわけで、3年ほど寝かしておいた「ハーモニー」をようやく読み終えた。ある予感がして以降、1つのタグの意味も読み落とさないよう、後方を逐一確認しながら読み進めたのでひどく時間がかかってしまった。
古今東西、ほぼすべての物語が「原罪」の賜物であるところの「わたし」あるいは「魂」を起源とする不幸を嘆きながらも、最終的にはそれを否定しきれない。「それが人間」、などという紋切り型の思考停止など反吐が出る、とはいえ、ヲレも「わたし」を失うことにはとてつもない恐怖をおぼえるわけで、それはもうそういうふうにできていると考えるしかない。
人類が、限られた資源、限られた選択肢の中で未来を紡がなければならないことが自分の中で明確に意識されるようになった3.11以降、この「わたし」/「たましい」はかたちを変えていかざるをえないだろう(でなければ早々と幕が下りる)、と漠然と考えていた。ここまでひっぱって、早く読まなかったことは後悔するけれど、その一方で3.11以降に読めたことはラッキーだった、とも言える。
ある意味ではセンセーショナルで、ある意味では静かな救済とも言える物語。
伊藤計劃氏の夭逝を悼む葬送の列に、遅まきながらヲレも連なることができそうだ。
もドゾー。